同じ時間に生まれても、同じ人生にはならない。人生をカードゲームとして考えてみた

同じ時間に生まれても、同じ人生にはならないと書かれた4枚の属性カード

忙しい人のための3行まとめ
  • 「同じ病院で、同じ時間に生まれた人は、同じ人生になるのか?」という、どうでもいいようで少し気になる疑問から考え始めた
  • 占星術をゲームに例えるなら、生まれたときに配られる「手札」は似ていても、どのフィールドで、いつ、どう使うかで結果はかなり変わりそう
  • そしてたぶん一番難しいのは、「自分がどんなカードを持っているのか」を自分自身ではなかなか把握できないこと

「同じ病院で同じ時間に生まれたら、同じ人生になるのか?」

最近、占星術の「サビアンシンボル」というものを知りました。

ホロスコープの360度を1度ずつに分けて、それぞれに象徴的なイメージを当てはめていくものらしい。

詳しい仕組みはさておき、こういう話を見ていると、僕はすぐに余計なことを考えます。

「じゃあ、同じ日時に生まれた人って、人生も似るの?」

例えば、同じ日に生まれた人なんて、日本だけでもかなりの人数がいます。

では、
同じ病院で、同じ時間に生まれた人
だったらどうなのか。

極端な話、藤井風さんとまったく同じ日時、同じ病院で生まれた人がいたとして。

その人もピアノを弾いて、YouTubeに動画を上げて、世界的なミュージシャンになるのか。

同じ星の下、同じ場所、同じ時間に生まれているんだから、そうなってもおかしくない気がします。

……と思ったのですが、どうやら占星術の考え方でも、そう単純な話ではないらしい。

同じ日時・場所なら、当然ホロスコープは同じ。

でも、人生は同じにならない。

ここがちょっと面白い。

占星術を「ゲームの初期手札」だと思ってみる

僕は占星術に詳しいわけではないので、かなり雑な理解です。

ただ、これをゲームに置き換えると妙に分かりやすい。

生まれた瞬間に、
「はい、あなたの初期手札です」
とカードを配られる。

同じ時間、同じ場所に生まれた人なら、かなり似たカードを持っている。

サビアンシンボルも、そのカードに描かれている絵柄みたいなものだと考える。

ただし、
「あなたは将来、世界的なミュージシャンになります」
という未来確定カードが入っているわけではない。

むしろ、
「人を惹きつける」
「表現する」
「世界観をつくる」
「言葉にする」
みたいな、もっと抽象的な能力値や属性が書かれている感じ。

ここから先はプレイヤー次第。

どんな家庭で育つか。
誰と出会うか。
何に興味を持つか。
どんな時代に生きるか。

そして、
どのフィールドでそのカードを切るのか。

ここが変わるだけで、同じ手札でも最終結果はかなり変わりそうです。

同じ手札から、音楽・ゲーム・言葉の世界へ人生が分かれていくイメージ図

強いカードを持っていても、場所が違えば弱い

例えば、ものすごく強い「水属性」のカードを持っていたとして。

今いるフィールドが火属性だったらどうでしょう。

「いや、俺のカードめちゃくちゃ強いんですけど」
と言われても、そもそも相性が悪い。

カードゲームなら普通にありそうな話です。

水属性のカードは、水のフィールドでは力を100%発揮でき、火のフィールドでは半減するイメージ図

人生でも、これに近いことが起きている気がします。

能力がないのではなく、
その能力が評価される場所にいない。

これ、結構ありますよね。

文章を書くのが異常に速い人が、文章を書くことを求められない仕事をしていたり。
人と話すのが得意な人が、ひたすら一人で作業する仕事をしていたり。
逆に、一人で黙々と考えるのが得意な人が、毎日「もっとコミュニケーションを!」と言われ続けたり。

本人は、
「自分って大した能力ないな」
と思っている。

でも、カードが弱いとは限らない。

単純に、
そのカードを使う場所を間違えているだけ
なのかもしれません。

藤井風さんの例で考えてみる

例えば藤井風さん。

もちろん本人の人生を占星術だけで説明できるわけではありません。

ただ、仮に「表現力」「世界観」「人を惹きつける力」のようなカードを持っていたとしても、それだけでは何も起こりません。

幼少期からピアノに触れる環境があり、音楽を続け、YouTubeという場所に動画を出す。

そして、インターネットによって、昔なら出会えなかった人たちにも作品が届く。

つまり、
手札 × 環境 × フィールド × タイミング
が噛み合って、初めてカードの威力が出る。

手札×環境×フィールド×タイミングが噛み合ってカードの威力が決まる図

もし同じような資質を持っている人が、音楽ではなく別の世界にいたら。

ゲームクリエイターだったかもしれない。
画家だったかもしれない。
文章を書く人だったかもしれない。
そもそも、誰にも知られず普通に会社員をやっているかもしれない。

「持っているカード」と「実際に出てくる結果」は、必ずしも1対1ではない。

このあたりは、占星術というより普通に人生の話として面白いなと思います。

「才能がある=稼げる」でもない

ここまで考えると、もう一つ気になることがあります。

じゃあ、仮に「お金を生み出しやすいカード」を持っていたら、誰でもそれなりに稼げるのか。

たぶん、そんな単純な話でもない。

例えば、
「お金を稼ぐことはなんとなく嫌だ」
「お金の話をするのは品がない」
「安定していることが一番」
みたいな価値観の家庭で育ったらどうなるのか。

能力としては稼げるのに、自分からそのカードを封印している可能性もある。

逆に、お金を稼ぐことに抵抗がなくても、
「自分には無理」
と思い込んでいたら、そもそもカードを場に出さないかもしれない。

つまり、
カードの強さだけではなく、プレイヤーの操作方法にも問題がある。

ゲームで言えば、
「SSR持ってるのに、ずっと初期装備で戦っている」
みたいな状態。

外から見たら、
「いや、そのカード使えばいいじゃん」
と思う。

でも本人からすると、それが見えていない。

街で見かけた「ものすごく効率のいい人」

このことを考えていたとき、街で見かけた光景を思い出しました。

空き缶やペットボトルを集めている人です。

街を歩いていると、かなりの量を効率よく集めている人を見かけることがあります。

その姿を見ていると、
「これ、かなりの行動力だな」
と思う。

しかも、ただ歩いているだけではなく、
「どこにあるか」
「いつ出るか」
「どこに持っていけばいいか」
みたいなことを、経験としてかなり把握しているはずです。

そこでふと思いました。

もし僕がその立場だったら、
「これだけ動けるなら、他に何に使えるだろう?」
と考えると思う。

今つながっている人に、
「他に何を集めたら買い取ってもらえます?」
と聞いてみるかもしれない。

今より単価の高いものがあるなら、そちらを探すかもしれない。

自分だけが知っている「どこに何がある」という情報を、別の形で使えないか考えるかもしれない。

もちろん、実際にやったこともない僕の机上の話です。

ただ、ここで面白いのは、
他人の手札だと、使い道が見える。
ということ。

自分のカードになると、急に見えなくなる

他人を見ていると、
「その能力、こう使えばいいのに」
と思うことがあります。

でも、自分のことになると急に分からなくなる。

これ、かなり不思議です。

他人のカードは客観的に見える。
自分のカードは、最初から持っているせいで「普通」に見える。

だから、
「これくらい誰でもできるでしょ」
と思ってしまう。

でも、実際には誰でもできるわけではない。

むしろ、
自分にとって当たり前すぎることほど、強いカードだったりする。

これは僕自身にもかなり当てはまります。

自分では、
「こんなの普通では?」
と思っていることが、他人からすると意外とできなかったりする。

逆に、他人から見れば明らかに強いカードなのに、自分ではその価値に気づいていないこともある。

結局、人生は「手札」だけでは決まらない

こう考えると、
「同じ病院で、同じ時間に生まれた人は同じ人生になるのか?」
という最初の疑問に戻ります。

たぶん、同じにはならない。

仮に同じカードを持っていたとしても、
育った環境が違う。
出会う人が違う。
自分が選ぶ場所も違う。

そして、カードの使い方を知っているかどうかも違う。

だから人生は、
初期手札だけで決まるゲームではない。

むしろ、
「自分は何を持っているのか」
「今いる場所では、それが評価されるのか」
「別のフィールドに移ったらどうなるのか」
「今の時代に、このカードを切るならどこなのか」
を考え続けるゲームなのかもしれません。

そう考えると、占星術も「未来を当てるもの」というより、
自分の手札を一度テーブルに全部並べてみるための道具
くらいに考えると、個人的にはかなり面白い。

当たるか当たらないかを延々と議論するより、
「自分、こんなカード持ってたんだ」
と気づくために使う。

そして、もし今の場所で全然勝負にならないなら、
「自分が弱い」
と結論を出す前に、
そもそも、このフィールドで戦う必要ある?
と一度考えてみる。

人生って、意外とそのくらい雑に考えたほうが、次の手が見えるのかもしれません。

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